サンチャゴ丸の世界へようこそ!
「サンチャゴ丸」命名の経緯


さて、もろもろ船の購入計画も具体化し、懸案として残ったのは船の命名となりました。
5人のクルーそれそれに思い入れとこだわりがあり、1993年の後半は名前をめぐって京橋・銀座・東京駅界隈の居酒屋で「ヨット命名会議」(仮)と称する単なる吞み会が繰り返され、結局は各自が最大3つまでの船名案を持ち寄り、その中からオーナー(=クルー)会議の投票で決定されることとなりました。ドラフト会議みたいですが。
幕末ファンである某クルーは、坂本竜馬の海援隊の最初の持ち船の名前であった「いろは丸」を提案し新たな時代を拓くイメージを訴求しましたが、「いろは丸」が夜間航海中に紀州藩の「明光丸」を衝突して積み荷もろとも沈没した史実が判明し、縁起でもないと却下されました。
また信州出身である某クルーは、その故郷の旧国名を冠した太平洋戦争時代最大の航空母艦「信濃」を主張しましたが、これも竣工後わずか10日後に米軍潜水艦の雷撃により紀伊半島沖に撃沈された悲劇の船であることから、この提案もあえなく玉砕、海の藻屑と消えました。
こんな熱い議論を重ねること数週間、ヘミングウェイの名作海洋小説である「老人と海=The Old Man and the Sea」の主人公である「サンチャゴ=Santiago」と命名することに大勢の意見がまとまる段階までこぎつけました。
ところが、それまで特に具体的な意思表示をしてこなかった某クルーが、「日本の船やったら、やっぱり船名に『丸』をつけんと感じがでーひんわ、かないまへんなホンマに。これだけは譲れまへんどす」(京都弁)と強硬に主張したため、みな何だか変だなーと感じつつも、折衷案で「サンチャゴ丸」と決まった次第です。
しかしその後紆余曲折を経て時は流れ、変な名前にもすっかり慣れ、その赤い船体に毛筆体の船名というインパクトある姿とあいまって、いまや清水港かいわいでは、(セーリングそっちぬけで)いつも酒飲んで美味いもの食って遊んでいる変な船としてすっかり有名になってしましました。めでたし、めでたし。
ちなみに船体に毛筆体で書かれている「サンチャゴ丸」の文字は、「日本の船やったら、やっぱり船名に『丸』をつけんと感じがでーひんわ...」と主張した某クルーのご母堂(書家)の筆によるものです。